前作「雲を掴め」出版当時に、作者の伊集院丈さんから第二作の構想があることは聞いていましたが、まさしく文字通りの「続編」となったのが本書「雲の果てに~秘録 富士通・IBM訴訟」です。

とはいえ、内容的には「雲を掴め」のその後を描いたものなのですが、小説全体を覆うトーンのようなものは、前作よりもずっと厳しいものになっている印象を受けました。それは恐らく、前作が書名通り「雲を掴む」ために歯を食いしばって坂を上っていく姿を描いた物語なのに大して、本作がこれも書名通りに上りきった坂の上で掴んだはずの「雲の果て」に、思いがけない景色が広がっていた気分が描かれているからだと感じました。

IBMとの紛争は当初技術論争だったわけですが、本作で描かれる紛争の第二ステージでは、主役はエンジニアからリーガル(法務)スタッフへ移り(作中では「ビジネスマンの手から弁護士の手に移った」とあります)、その攻防戦もより苛烈を極めます。

社運を賭した知財訴訟と共に、当時の富士通幹部達の姿も描かれるのですが、本作でひときわ異彩を放っているのが「九鬼新太郎」氏です。「富士通にはマネジメントがない」と言い放つ、まさに米国型新自由主義の権化のような人物ですが、作者は彼に徹底して「伊集院丈」を批判させ、挙げ句は戦力外通告さえ言い渡します。それは確かに日本社会にとってのひとつの時代の終焉であると共に、新しい時代の幕開けを象徴した場面でもあったわけですが、その利益至上・市場原理万能の世界がどういうことになっていったのかは、昨年から今年にかけて、あまりにも壊滅的な姿で目の前に現れています。

「メインフレーム」というシステムの興亡と、それをめぐる覇権の攻防戦が前作と本作で描かれたわけですが、これはあくまでエピソードの一つに過ぎません。本書から引用します:

”雲の果て”に雲がある。ネット、ソフトウェア、コンテンツ、システムの覇権争いは限りなく続く、しかし本質は不変である。

掴むべき”雲”は常に存在する、というのが伊集院さんから我々に託されたメッセージだと理解しました。

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本作を読み終えたのは実は今年の正月休み中だったのですが、感想を書くのをすっかりサボっていました。ずっと気になっていたので、ちょっとホッとした気分です。