先日、久しぶりに出張の機会があり、仙台に行ってきました。
いわゆる「被災地」エリアに出かけるのは震災後初めてだったのですが、話に聞いていた通り、新幹線は行きも帰りもほぼ満席で、仙台の中心部は人出も多く、とても賑やかで活気が溢れていました。新幹線でもそうだったのですが、街中にはスーツ姿のビジネスマンが多く、仙台が復興活動の拠点になっているということを実感した次第です。
出張先での用件を済ませた後、少し時間があったので、車を借りて沿岸部を見て回りました。きちんと調べずに出向いたのですが、後で確認すると、仙台塩釜港を起点に海岸沿いを南下し、仙台空港周辺を経由して仙台市街に戻るルートでした。
車で走っている限り、瓦礫が散乱しているといったことはもちろん無く、かなり復興が進んでいる印象だったのですが、途中で驚くような光景に出会いました。
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ガソリンスタンドの屋根と支柱がねじ曲げられています。テレビや写真では良く見た光景と言えますが、それでも目の前で見るとその異様さに圧倒されます。
すぐ近くに学校らしき建物もありました。
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手前が体育館、奥が校舎ですが、体育館は外枠だけ残して中は瓦礫が流れ込んだ状態。校舎も一階部分は窓が全て割れていて、内部に水が流れ込んだことがわかります。
この周辺はずっと平坦で見通しが良く、野原がずっと広がっているように見えるのですが、足元は民家の土台らしき基礎が並んでいます。
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いくつもの土台がずっと続いているのを見ると、いったい何軒の家が流されたのか、考えるだけで息苦しい思いでした。
少し離れた場所にはこんな光景も。
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ガードレールがひしゃげていますが、こういった箇所はあちこちに見られました。
周辺には少し低くなった野原も広がっているのですが、そこはどうやら水田だった模様。海水の浸入で作付けできないのだろうと思いますが、いつになったら広大な水田が復活するのか、見当もつきません。
大震災の発生から一年以上経ちましたが、瓦礫こそ片付いたものの、生活の再建はまだまだこれから着手するという段階に見えました。石巻、気仙沼、大船渡、釜石等々、被害の比較はできませんが、いずれも簡単に「復興」という言葉を使うのが憚られる状態に違いありません。
出かける前は「被災地を見に行く」という行為自体に、いわゆる野次馬的なものを感じて後ろめたさがあったのですが、行ってみて、少しでも被害の実態を(たとえ一年後でも)見ることができたことは良い体験だったと思っています。自分一人では何もできないとは思いますが、それでもほんの少しの力でも、なんらかの形で支援に役立てたいと実感しました。